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大阪高等裁判所 平成7年(う)249号 判決 1995年12月22日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審の訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官加納駿亮作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人近森土雄作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意中、事実誤認及び法令適用の誤りの主張について

論旨は要するに、被告人及び被告人車の同乗者の身体に対する現在の危難は認められず、仮に認められるとしても、本件における被告人の行為は右危難を避けるためやむことを得ざるに出でたる行為でないのに、過剰避難を認定し刑法三七条一項但書を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて検討する。

一  原審で取調べ済みの関係証拠によれば、原判決の認定するとおり、以下の事実が認められる。すなわち、被告人が普通乗用自動車を運転して原判示二階堂交差点の一つ又は二つ西側の交差点を進行する際、信号表示が黄色から赤色に変わるころであったのに東に向かい右折したため、青信号になるのを待って東に直進で発進したワゴン車と接触しそうになり、同車は後方から前照灯を上下にしたり速度を上げて接近したりしたうえ、二階堂交差点の手前(西詰)で被告人車を左側走行車線から追い越し、進路前方に割り込む状態で車体を右斜めにして停車し、被告人車も停車したところ、ワゴン車から二人の男が降り、うち一人が被告人車に近づいてきて助手席のドア付近を蹴ったりガラスを叩くなどし、被告人は自分や女性を含む同乗者の身の危険を感じ、同交差点を右折して逃げようとしたが、対向直進車両の有無及びその安全を確認しないまま右折発進したため、青色信号に従って対向直進してきたE運転の自動二輪車を衝突直前に初めて発見し、同車前部に自車左前部を衝突させて同人を跳ね飛ばし転倒させ、脳挫傷などにより死亡させたものである。

二  所論は、(一)ワゴン車の男による被告人車に対する直接的暴行は存在しない、(二)仮にあったとしても被告人車の車体に対する危難にとどまり、被告人らの身体に対する危難が現在化していたとはいえない、と主張する。

これについて検討すると、(一)目撃者のうち、Aの原審証言中には「ワゴン車の男が被告人車に向かって行ったが手が届く前に被告人車が発進した」旨の部分があるものの、「蹴ったが当たっていないと思う」旨の証言もしており、明確に目撃できていたとはいい難いうえ、原審B証人も被告人車が叩かれたことを否定していない。他方、被告人は事故直後から「ワゴン車の男に車のボディを蹴られるなどした」旨供述しており、同乗者であるC、Dも原審で「やくざ風の男がドアを蹴ったりガラスを叩くので怖かった」旨具体的に証言しており、その信用性を否定することはできない。そうすると、被告人車に対する直接的暴行が加えられたことが認められる。(二)次に、ワゴン車の男は凶器を持っていず、被告人車には被告人を含め男性三名と女性二名が乗っており、ドア及び窓が当時ロックされていたことは所論指摘のとおりであるが、A証言によってもワゴン車の男が相当に興奮し被告人車に向かっていった様子が窺われ、それまでの追跡及び進路妨害行為の末に激高して車体に暴力を振るった経緯からすると、前記同乗者らが証言するように、二人がかりでガラスを割り、乗っている者を車外に引き出して暴行する事態に至るおそれがあったことは否定できない。そうすると、被告人及び同乗者の身体に対する危難が間近に迫っていたと認めてよく、現在の危難を認定した原判決は是認できる。この点の所論は採用できない。

三  所論は、(一)被告人が逃走する場合、見通しを妨げられない左側車線の安全を確認したうえ、左転把しつつワゴン車の後方を通り、左側車線を直進すべきであった、(二)右折する場合は、被告人車の右前部がワゴン車前部より僅かに南方に出た地点で一旦停止し、対向車線上の安全を確認してから右折すべきであった、(三)本件は被告人の無理な運転でワゴン車と接触しそうになったことが発端であり、車体に暴行を受けたのは自招危難であり、謝罪することもせず自動車運転者として最も危険な方法で逃走しようとしており、その行為を全体として見てやむを得なかったとはいえないから、避難行為としての相当性に欠ける、と主張する。

これについて検討すると、(一)ワゴン車は追越し車線を塞ぐ状態で停止しており、その左側の走行車線が空いていたことは所論指摘のとおりであるが、被告人車の助手席側付近にはワゴン車から降りてきた男がおり、同人に衝突しないようにしながら左側車線を走行するのは相当に困難を伴う状況であったと認められる。従って、左側車線を直進して逃走すべきであったとする所論は採用し難い。しかしながら、(二)ワゴン車の男を避けて右に転把し進行したうえ、ボンネットの高いワゴン車の付近で対向車線が見通せる地点まで進出して一旦停止し、同車線を直進してくる車がないかどうか安全を確認してから右折発進することは十分可能であったと認められる。しかも既に二で検討したとおり、ワゴン車から降りてきた男らは素手であり、ドアもロックされていた状況を考えると、右折し逃走する際に対向車線の安全を確認するだけの余裕はあったというべきであり、また原審A証言によれば、被害車両はライトの位置が高めで視認が容易であったと認められる。しかるに被告人は、ワゴン車に気を奪われて急発進し、対向車線に出て衝突する直前まで被害車両に気付かなかったことが明らかである。そうすると、被告人の本件運転行為は、前記危難を避けるためであっても、他にとる方法がなかった又はやむを得ないものであったとはいえず、緊急避難としての補充性及び相当性の要件を欠くといわなければならない。

原判決は「被告人が前記危難を避けるためには、本件交差点を右折する以外に適当な方法はなかったと認められる。」と判示するのみで、右折の際に被告人がとった運転方法の相当性については判断を示していないが、緊急避難の成立要件につき事実誤認があり判決に影響を及ぼすことは明らかであり、その余の所論について検討するまでもなく、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

(なお、弁護人が職権発動を促していることにかんがみ、その主張について判断を示しておく。弁護人は、(一)原審における訴因変更の手続は、不意打ちに等しく不当である、(二)被害者の運転する自動二輪車は、車高の高いワゴン車のすぐ横を高速度で走行していたから、被告人が対向車線の安全を確認したとしても衝突は避けられず、注意義務がない又は結果との間に因果関係がない、などと主張する。しかしながら、(一)右訴因変更は、被告人が被害車両の発見時期について捜査段階での供述を原審公判に至って変えたため、右公判での供述に則して過失の構成を変更したものであって、不意打ちとはいえない。更に、(二)現在の危難があっても直ちに注意義務を免かれるものではないことは原判示のとおりであり、また、被害者が指定最高速度を超え相当の高速で進行していたことは認められるが、実況見分時の被告人による指示説明によれば、本件衝突は被告人車が対向車線の中央付近まで進出してから発生しており、《これに反しセンターライン付近で被害車両が向かってきて衝突したとする被告人の供述は、被告人車両の損傷部位及び原審Fの証言等に照らし容易に信用できない。》、被告人が安全を確認することなく対向車線に進出した結果衝突したものであって、注意を尽くせば結果回避が可能であったことが明らかであり、被告人の過失及び結果発生との因果関係も肯認できる。)

第二  自判

よって、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い更に判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事していたものであるが、平成四年八月九日午後一一時八分ころ、普通乗用自動車を運転して大阪府門真市大字上馬伏七〇二番地先の信号機により交通整理の行われている二階堂交差点の手前道路を西から東に向かい走行中、氏名不詳者の運転するワゴン車が被告人車を左側走行車線から追い越し、進路前方に割り込む状態で車体を右斜めにして右交差点西詰に停車したため、被告人車もその手前で停車したところ、ワゴン車から降りた男が被告人車に近づいてきて助手席のドア付近を蹴ったりガラスを叩くなどし、被告人は同交差点を右折しようとしたが、このような場合、対向車線を見通せる地点まで自車を進出させ、対向直進車両の有無及びその安全を確認しながら右折すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右車両の有無及びその安全を確認しないまま右折進行した過失により、折から青色信号に従って対向直進してきたE運転の自動二輪車を衝突直前に初めて発見し、そのまま同車前部に自車左前部を衝突させて同人を跳ね飛ばし路上に転倒させ、よって、そのころ同所において、同人を脳挫傷などにより死亡させたものである。

(証拠の標目)

<略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は平成七年法律九一号による改正前の刑法二一一条前段に該当するが、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮一年に処し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審の訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、前示のとおり自動車の運転方法をめぐって他の車の運転者と揉め、進路を妨害されたりドアを蹴られるなどしたことから、現場を早く逃走しようとして対向車線の安全を確認しないまま右折進行したことにより、青信号で進行してきた自動二輪車に衝突し、その運転者を死亡させた事案であるが、右妨害車両の運転者及び同乗者の行動は乱暴であるとしても、それに先立つ被告人の運転態度に起因することは否定できず、また、本件被害者にも高速で運転していた落度があるとはいえ、青信号に従って直進してくる車両の安全を確認しなかった被告人の過失は大きく、これにより将来のある青年の生命を一瞬にして失わせた結果は重大である。しかも被告人は大事故を起こしたのに現場から一旦逃走しており、本件事故で軽傷を負った同乗者を病院に連れていった後で現場に戻り自首してはいるものの、犯情は芳しくない。被告人の刑責は軽視できない。

しかしながら、事故に先立ち前記事情があることのほか、被告人には前科がなく、原判決後被害者の遺族との間に示談が成立したことなどの情状も考慮し、刑の執行を猶予するのが相当であると認める。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 七沢章 裁判官 米山正明)

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